10代目スカイライン(R34) 1998年5月発売(280馬力)
R34型の開発はR33型開発の陣頭指揮をとった渡辺主管が引き続き指揮することになりました。
R33型は大きいのに速い車、という一定の評価は得られたものの、サイズが大きくなったこと、コストダウンの要請に伴うローレルとのプラットフォーム共通化などはファンの反発を招きました。進化はし、洗練されたものの、イメージ的に鮮烈さに欠け、スカイラインらしさは薄まったと見られたのです。
こうした反省から、新型では「スカイラインらしいスカイラインを造ること、日産の看板である走りを一段と光らせること」に主眼が置かれました。
また、売れたのは2ドアばかりだったと言う先代の反省から、新型では4ドアの開発にも力が入れられました。
開発におけるキャッチフレーズは「ベスト・ドライビング・プレジャーの追求」でした。スカイラインらしさを追求し、まず最初に決断されたのが、ホイールベースを短縮するということでした。2ドア、4ドアともに、ホイールベースは55ミリ短縮されました。ボディ全体では4ドアは15ミリの短縮、2ドアはなんと60ミリの短縮を実現したのです。スタイリングにおいては、「スカイラインらしさの追求、本物のスポーツセダン&クーペの具現化、FRらしい走りの実現と、なるべく小さく見えること」が求められました。そして、フロント回りはぐった低められ、ウエッジ感を強調、リアは、伝統の丸目が踏襲されました。こうして贅肉を削ぎ落とし、アグレッシブに生まれ変わったボディは、一目でスカイラインとわかる存在感あふれる車となりました。
肝心の走りに関しては、エンジンを大幅に見直し。従来通りのRB25DE(T)ながら「ネオ・ストレート」と呼ばれるエンジンに生まれ変わりました。そして、2.5ターボはついに280馬力にパワーアップとなりました。
また、タイヤも17インチにサイズアップされました。また、これにあわせブレーキも強化、17インチ用の4ポットキャリパーが装着されました。
そして、ボディは「ドライビング・ボディ」と呼ばれるダイナミックボディ剛性を重視した、世界トップレベルのボディ+シャーシが一体開発されました。
CMも、ヴァンヘイレンの「You really got me」を採用、ハードイメージをアピールしました。そして全面に押し出されたのはセダンです。いまだかつて、セダンの車の宣伝にハードロックが採用されたことはあったのでしょうか。キャッチコピーも「ボディは力だ」というもの。シャーシを映し出してボディ剛性のよさを強調すると言う、とにかく機能アピール重視のコマーシャルでした。
4ドアセダンは、スカイラインの持ち味であるキビキビとした走りを実現しながら、セダンに要求される居住性と実用性をバランスさせました。
5代目GT-R(BNR34)1999年1月発売
1998年の年末が近づくにつれ、5代目GT-Rに関する情報が各誌にスクープされるようになりました。10代目スカイラインにGT-Rがあることは、事前に渡部主管自身の口から公表されていたので、ファンの期待はスクープ情報が入るたびに高まりました。ニュウルブルクリンクでの走行シーン、国内テストコースの走行シーンなどで走る新型Rの精悍な姿はかなりのパフォーマンスを期待させるに充分でした。しかし、そのスクープのされ方に少し疑問を抱かざるを得ない一面もありました。各地でなんの覆面もないまま、いかにも「この形で出します」と言うかのように走るRの姿は、スクープと言うよりは、既に「コマーシャル」であるかのようでした。
当時の日産は経営内容が深刻な状況でした。売れない車をいつまでも売るような余裕はなく、いかにGT-Rがイメージリーダーカーと言っても、売れないままではもはや済まされません。更にエネルギー問題や、環境問題が、GT-Rの様な、高パフォーマンスカーにとって向かい風になりつつあるなか、「スクープ」言う名のCMにかり出されるGT-Rに、私は悲壮感すら感じました。
1999年1月、4年前を思い出させるかのように、5代目GT-Rが「東京オートサロン」で発表されました。
コンセプトは、今までと同様「究極のドライビングプレジャーの追求」でした。あらゆるシーンで最上級の走りを提示し、安心感をベースにした意のままの走りを実現しようというのが開発における目標でした。
スタイリングは2ドアクーペをベースにしながらも、ルーフとドア、トランク以外は専用設計です。ボリュームを増したボンネットフード、大きく口を開けたインテーク。大きく張り出したフロント・リアフェンダー。そして、専用設計となる2枚翼のリアスポイラー。ホイールベースは2ドアクーペと同様55ミリの縮小ながら、ボディサイズは全長75ミリの縮小となりました。全幅は逆に5ミリ拡大。このようにチューンナップされたボディはこれまでのスクープ写真で知らされていたものの、極めてアグレッシブで、R33に対する反省が生かされていると言えます。
バリエーションには先代同様、Vスペックが用意されています。Vスペックで特筆すべきはフロントディフューザー・リアデュフューザーと言われる「アドバンスドエアロシステム」で、ダウンフォースを発生させるためにボディ下部に導風板を装着するという、徹底振りです。
コックピットを空け、室内に入れば、新しくデザインされたシートが目に入ります。3代目、4代目GT-Rと受け継がれてきたモノフォルムシートを基調にデザインを見直し、肩のサポート部を拡大、更にホールドを高めています。又、タコメーターは中央に配置、Vスペックにおいては3000回転までを切りつめ、それ以上を見やすくすると言った気の配りよう。センタークラスターには従来の3連メーターに代わり、「マルチファンクション・ディスプレー」と言われる7項目のデジタルメーター(Vスペックでは9項目)が位置しています。そして、先代でも導入されると言われながら導入されなかったゲドラグ社との共同開発による6速トランスミッション。シフトノブも短く、操作性の良さを感じます。
エンジンルームを空ければ、真紅に塗られたRB26が目に飛び込みます。基本的には従来通りのエンジンではありますが、細部を見直し、ターボもボールベアリング式セラミックツインターボとし、今まで以上にレスポンスが鋭くなっています。
タイヤは245/40/18インチ、ホイールも6本スポークとなり1本当たり1キロの軽量化が図られました。
渡部主管は「最新のスカイラインが最強のスカイライン」と宣言しました。こうしてスカイラインGT-Rは「究極のドライビングプレジャーの追求」に向け、又一歩進化したと言えるでしょう。
と、ここでGT-Rが元々、「レースのためのベースマシン」としての存在であったことを思い出さずにはいられません。R32で大成功したがために、次の世代になりながらも先代を上回る走りを実現するのに時間がかかり、登場が遅れざるを得なかったR33の登場からちょうど4年でのR34Rのデビューは、スケジュール通りとは言えます。しかし、この10年で、時代も、車を取り巻く環境も、レースシーンも変わりました。もはやGT-Rはレースで勝つのが当たり前の存在ではありません。この車はR32で復活したことにより、「レースのためのベースマシン」としての存在から、日産車の代名詞として、最高性能、最高の走りを実現するフラッグシップカーとして、そのアイデンティティを方向修正しました。そして、R34GT-Rの精悍な、マッチョなフォルムは、「スーパーウエポン」であることを何より物語っています。もはや、「羊の皮を被った狼」ではないのです。「最高の走り」と言っても、GT-Rが高性能化するにつれ、その性能を発揮する「一般道」は少なくなり、フルに発揮できるのは、レースシーンにおいてのみとなっていきました。それなのに、売らんかなの装備の数々、そんなGT-Rのあり方に疑問を感じざるを得ませんでした。
2002年、スカイラインGT-Rの最終形、MspecNurが発売。
8月までの期間限定発売となり、8月をもってスカイラインGT-Rは生産終了となりました。
2001年6月、上記MspecNurと順序は逆になりますが、新型スカイラインは「V35型」として登場しました。しかし、そのデザインは永年培われたスカイラインのコンセプトとはほど遠く、又仮に他の新型車として見ても見るに堪えないデザインとなってしまいました。ゴーン体制で大量の新型車が登場しましたが、デザイン・売上共にその中でも最大の失敗作と言えるのではないでしょうか。
V35型のデザインやシャーシは、元々新型レパードとなる予定だったものを、レパードを生産終了したため、スカイラインに流用したと言われています。その丸みを帯びたデザインにスカイラインのアイデンティティは感じられません。
2003年、スカイラインクーペが登場。セダンに比べればまともなデザインとは言えるものの、大型化し、鈍重さは否めませんでした。
このV35型でスカイラインは終わった、と私は実感しました。
そして、2007年12月、日産は「日産GT-R」を発表しました。
「スカイラインGT-R」の名を使うべきかどうか、かなり議論がされたと聞きます。しかし、「日産GT-R」で良かったと私は思います。余りに大型化され、日産自身「スーパーカー」と呼んではばからない車は、かつてのスカイラインGT-Rとは全くの別物と思うからです。
いつか、真のスカイライン復活と喝采を上げられる日が来るまで、私は待ち続けたいと思います。
to be continued