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スカイラインの歴史 第8部 迷走のR31

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7代目スカイライン(R31型) 1985年8月発売
RE20型エンジン(1998CC)搭載 210馬力

「やわらかい高性能」「ソフトマシーン」「都市工学」というキャッチフレーズで4ドアハードトップ・セダンのみがまず登場しました。
高級スポーツサルーンという位置付けだったのですが、これは「マークⅡ三姉妹」に代表される巷間のハイソカーブームに乗っかろうという魂胆が見え見えでした。
エンジンは新開発のRB20型(165馬力)を採用。永年続いたL20型に別れを告げることになりました。ターボを搭載したRB20DET型は210馬力を発揮。ケンメリGT-R以来の6気筒DOHCエンジンを搭載し、ファンを大いに期待させましたが、実際はスペックほどのパワー感もなく、さりとてハイソイメージも今一つと言う、中途半端な車でした。HICASという、後輪操舵システムを採用したものの、走りを向上させるほど優れたシャーシでもないため、大きな効果は見られませんでした。何よりも2ドアがないと言うことは、ファンを落胆させるものだったのです。確かに、元々スカイラインは4ドアでした。しかし、きびきびとした走りも実現できずに、周りで4ドアがはやっているからと言って4ドアのみを先行デビューさせたことに、ファンはもはやスカイラインの必然性はないと感じました。

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1986年5月、2ドアクーペGTS、
セラミックターボ搭載のGTSターボ(E-HR31型)を発売。

4ドアで落とした評判を回復させるべく、スポーツイメージを押し出してのデビューとなりました。キャッチフレーズは、「そのとき、精悍」。イメージキャラクターは、岩城晃一を採用、「エリーゼのために」をハードロックにアレンジし、ハードなイメージを前面に押し出しました。
エンジンフィールも別物ではないかと言われる位、4ドアに比べ向上しました。エンジンの出力表示がグロスからネットに変更となりましたが、GTSで140馬力、ターボは180馬力を発揮。翌年のマイナーチェンジでは各10馬力のパワーアップが図られ、4ドアに比べスポーツイメージが強くパワーもある2ドアは人気を博しました。しかし、代替わりの度に大きくなるスカイラインに、果たして、これでいいのか、これがスカイラインのあるべき姿なのかと、ファンはむろん、開発スタッフも疑問を感じるようになってきたのです。

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スカイラインGTS-R

1987年8月のマイナーチェンジと同時に発売されたのがGTS-Rです。
これはグループAツーリングカーレースのためのベース車両として発売されたもので、販売台数も800台に限定されました。RE20DETをベースにギャレット製のTO-4型大径ターボを搭載し、210馬力を発揮しました。
レース用車両が発売される、というニュースに、ファンはGT-Rの復活を期待しましたが、そうは成りませんでした。このことは、GTS-Rが、レース用マシンとして十分なものではないことを何より物語っていました。
まだ、この程度ではGT-Rを名乗れない、ファンはGT-Rの偉大さを改めて感じるとともに、GT-Rがまだまだ遠いところにあることを痛感せざるをえなかったのです。
しかし、このGTS-Rで日産は多くのノウハウを蓄積しました。次のステップに向けて。

7代目スカイライン開発途上、永年指揮を取って来た桜井真一郎氏が急病により降番した為、伊藤主管に交代となりました。伊藤主管はR31の反省を込めて、8代目スカイラインの開発では、スカイラインの原点に帰り、真のスカイラインスピリットをもった車をつくることを目指しました。
それは、走りの性能を究極にまで高め、走りのテイストを追求することによって到達する、究極のスポーツセダンの姿に他なりません。
スカイラインがハイソカーなんぞであってはならない、と言う反省があったのです。

時はバブル絶頂期、日産にはお金もありました。ヒト・モノ・カネを惜しげもなく投入し、8代目スカイラインの開発は進められていったのです。

by sk_gtr | 2020-02-09 12:08 | スカイラインの歴史